浅草まで
先日仕事で、父親と二人で東京の浅草橋へ行きました。
用を終え、浅草橋から浅草まで歩くことになりました。
戦前、父が三筋町という所に住んでいて、浅草界隈は
思い出の地だったのです。地下鉄二駅分、のんびりと歩きました。
父が住んでいた所はビル工事の真っ最中で、60年以上も
経てば変わっていて当たり前なのですが、当時の食堂や銭湯が
姿を変えながらも今も同じ場所で営業しているのを見て、感慨深げでした。
父が通っていた小学校は今は蔵前小学校と名前を変え、私たちが
訪れた時、ちょうど5周年の記念事業をやっていました。
思えば昭和20年3月10日の東京大空襲で、父は猛火の中、この界隈を
必死で逃げ惑い、まさに九死に一生を得たのでした。当日、浅草公会堂で
東京大空襲展をやっていたのも、偶然ではなかったような気がします。
父は現在78歳、この日はよく歩いたと思います。最近のカ−トに乗る
ゴルフの1ラウンドより歩いたような気がします。自分が今の父の年齢に
なった時、果たして同じ様に歩けるか?です。
昼食は、父が東京にいた頃よく来たという天ぷら屋さんに寄りました。
写真に後姿で写っているのが父です。
浅草はこの日も賑やかで、活気に満ちていました。